色々な事情があって私は食べるという行為に対して過敏だったり妙に鈍感だったりのブレが激しい。
つまりは「ものすごく気になる」日常の行為のひとつ。
でも、「食卓」にはほとんどまったくこだわりはなくて、実際今食卓として使っているのはこたつだし、もともと食卓として買ったディナーテーブルは、自室を持たない恋人のパソコンデスクと化している。
昨日見にいった芝居。
劇団風琴工房「食卓夜想」。
http://www.windyharp.org/yasou/
作家・演出家のこだわりなのか、この劇団の作品にはわりと頻繁に「食卓」が重要な小道具として登場する。いや、小道具というより大道具?。。。もとい、舞台そのものとしての食卓・台所なのかもしれない。
愛する女性を殺して食肉する男の話はもろにキッチンが舞台だったし、息子を溺愛する母親の物語は「ユダの食卓」。奴隷として買ってきた少女と男が交わるのも食卓の上だった?ような。
昨日の「食卓」は血だけで繋がっているかりそめの家族と、母親の恋人、ゆきずりの少女の囲む、空想の食卓。
いってみればもう、ただそこで「食べる」という行為(芝居の中では食べる行為でさえない、ただのジェスチャー)をするだけしか共通項のない希薄な人間関係をかろうじて繋ぎとめる鎖としての食卓。
実を言えば、異性装ってここ数年の私にはかなりタブーであります。あまりにもテレビやら映画やらで消費されつくしていて、記号にさえならない不気味さがある。で、チラシを見たときに「うーん。どうだろう?」とちと躊躇したのですよ。なにしろメインの役者が女装してるし、どうみてもファッションゴスロリ入ってるし。
そして見てみれば、見事に演出家の思うツボ。
これはおそらく意図されるのが「異性装」を完全にただの「お飾り」にしていて、それ以上でもそれ以下でもない、「ほら、綺麗でしょ、似合うでしょ」だけのものに落とし込んでいるからなのだろうな。いや、意図するところはあったかもしれないけれど、それが意図された形のまま伝わる前に私にはツボに入ってしまった。サラサラヒラヒラのジョーゼット風ドレスが見事に似合った青年として。女装としての美しさを利用しているのだから当然あざといのだけど、おそらく役者当人の淡白さ?なのか、くどさがいい具合に薄まってる。まあお綺麗。
エンタテインメントとしての異性装と割り切りつつも、あざとさを最小限に。(正直いえば社会性ネタはこの際要らないかなと思いました。現実の世知辛さは見ないふりを徹底したほうが良い気が)
ちなみにコスチューム系・ゴスロリがお好きな方にもお楽しみいただける芝居です。
上記の通りのヒラヒラが似合う裏声の美青年。
赤頭巾ちゃんそのもの、これ以上なくキャラが立ってる女の子。
ゴージャスドレスで我侭気ままを絵に描いたような母親が食卓に仁王立ちして2丁拳銃振り回す。
その三人の幻想家族を現実に繋ぐのは、ゆきずりのイマドキ少女と母親の恋人。
上演場所は、自由が丘の瀟洒なマンションの一室、普段はギャラリーとして使われている小さなお部屋であります。ゆえに、一番前の席に座ると役者たちの毛穴まで見えます。じゃなくて。
上演は12月26日火曜日まで。
毎夜7時半開演。
芝居普段見ない方でも、元オタク少年少女に特にオススメ(笑)。
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