8歳か9歳のころ、近所を流れる川はコンクリートに固められた、水路だった。それでも流れる水がはだしの指の間を抜ける感覚が面白くて心地よくて、ぬるぬるした水草を必死で踏みしめながら日が暮れるまで飽きもせず遊んでいた。
住んでいた官舎の入り口あたり、水路へ続く道に覆い被さるように、緑の生垣があって、そこにいつも絡み付いている蔓に、ある日ぽうっと赤い実がついているのに気付いた。朱色の卵のように垂れ下がるそれが綺麗でめずらしくて、あたしはすでに枯れ果てた蔓からもぎとるのも惜しく、ひとりでうっとりと見上げていた。烏瓜の実のなるのは秋も深まるころ。遊びつかれた夕暮れに朱色が似合う季節だった。
青い烏瓜をみた記憶は、ない。烏瓜であかりをこしらえたことも、ない。
あたしが手にもつ提灯は、熟れた烏瓜にこうこうと紅い火をともしながら、人の波を流れてゆく。ふたりの少年が、あたしの前を後ろを歩く。三人目はうんととおく。あるいはあたし自身かもしれない。
すこしだけこわいけれど、あたしは四人目に会いたいのだ。
この道のりはとおい、と思う。
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