朝起きたら外は雨。
朝ご飯は暖かいものでも食べて暖まろう。昨日の水炊きで残った鶏の出汁をのばして、残り野菜を放り込み、ナンプラーで味付け、恋人は素麺を茹でてカボスを切る。茹であがった麺を器に盛って野菜スープを注ぎ、カボスをちゅっと絞ればエスニック風ニュウメンの出来上がり。二人で湯気を吹きながら、つるつる麺をすする。ほねつき鶏の出汁は人の骨にも染みる美味しさ。ナンプラーのコクとカボスの香りでかなり良い朝ご飯になった。
手の傷も治って、心置きなく粘土を捏ねられる。うすく均一にのばして芯に巻き付ける。気付けば両手は真っ白で、爪に白い粉が詰まってしまっている。ひととおりパーツに巻き終えて土台はできた、ほっと一息いれて台所に立ち鶏ハムの仕上げ。一週間漬けこみ塩で引き締まった鳥肉をタコ糸でぎゅうぎゅう縛りながら、遠くにいる友人のことが頭から離れず。何ができるわけでもなく、結局離れた場所から心配の光線を送るのが関の山。それでもあたしが友人のことを考えている、その想念のエナジーはこの曇天を突き抜けてどこか、願わくば友人そのひとのもとに届くはずと信じるしかない。身勝手この上ないあたしの思いのすべては、あたしがこの手で作るものの中に練りこまれてゆく。朝ご飯の出汁に、人形を形づくる粘土に、漬けこんだ肉に、どれにも同じように均等に。
少しでも親友が微笑む時間がありますように、力不足を詫びながら、その思いをこめてこの日常の一時一時を過ごすことが、あたしの友人への、ひいてはあたし自身への祈りの行動でもある。
先日から繰り返し読んでいる人形作家四谷シモンの自伝。自伝というひとくくりよりも、過去発表したエッセイを時系列と発表媒体に沿ってまとめたら、半自伝になってしまったというのがおそらく正しい。東京の下町に生まれ、少年時代からヒトガタに魅せられつつ、芝居の世界で一役者として唐十郎の洗礼を受け、澁澤龍彦の寵愛(としか云えない)によって人形作家としての道を拓いていったシモンの自分史は、ちょっと今の東京に仮住居する『只のあたし』にはその空気を想像することさえ困難だ。困難なのに、どこか嫉妬を覚えるような間違いを冒してしまいそうなのは、四谷シモンが唐十郎でも澁澤龍彦でも篠山紀信でもなく、かれらの間を爪先立ちで飛び回っては小さな嵐を巻き起こす愛すべきアルルカンとして存在したせいだろう。そこには古くから日本の歴史に刻まれてきた武将と小姓のごとき男同士の連帯感と、身分をわけ隔てる断絶があり、女の場所はその断絶からさえ程遠い。つまり、彼ら語るところの生活から離れた異次元に女はいて、その接点は彼らが繰り広げる宴会のおさんどんをする全くの陰の存在なのだ。唐の妻で女優の李礼仙が名前をだされるのは、舞台で光を放つ瞬間でも、演劇論を打つ食卓でもなく、その宴を主宰する唐の細君として肴にうまいつまみを具したのみだということを、女性である私はどう受け取れば良いのだろう。
メイ・サートンが書いていたのを思い出す。
『女性の時間は男性のそれより細切れで、創作をするためには(ヴァージニア・ウルフ云うところの)「自分だけの部屋」どころか、「自分だけの時間」を持つことから始めなくてはならない』
たとえば結婚もしておらず、暴君のような夫も持たないあたしでも、生活は細切れで、人形と本と映画と恋愛に溺れているわけにはゆかない。現代東京の外れで些末な仕事に頭を悩ませるあたし。そんなあたしは、その些末さの中に自身を埋没させながら、それらをつぶさに観察しそこからスタートしてこの世界の摂理に通じる道筋を拾いつなげてゆくという、途方も無く壮大な夢物語を台所の湯気のむこうに探し求めてゆくのだ。
そこには、もしかすると歴史の表舞台に繰り広げられた絵巻の華やかさはないかもしれない。なんといっても武将でもなければ王さまでもない。けれど、同じ舞台で違う芝居を同時進行ですすめることはできないとしたら、小さくとも違う小屋を別の場所に建てるしかない。
張り合う必要はなくとも、やはり主役争いはつきもの。そういういざこざも総て含めて飲み込んで、あるいは切り捨てて、自分の小屋を建ててゆく。そこにはゴミパックがいっぱいになって動かないクリーナーや、積もるにまかせたペットボトル、野菜のマリネや会社の煩わしい上司に交じってあたしのグノシェンヌや、大事な友達、愛する恋人への祈りが大音量で鳴り響いているはず。「自分だけの時間」の正体はこんなものだ。細切れを仕分けしている間に時間は飛び去る。だから全てを掬いあげ、全てを引きずって生きてゆく。まったくもって芸術なんてものとは無縁な生きざまだなあ。洗練されるには、あと千年くらい必要だろうか。。
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