人とやりとりするのが嫌いで好き。好きで嫌い。
会社のおべんちゃらは嫌い。
仕事でぱきぱきと冗談を交えながら実務的なやりとりをするのは好き。
そこにプライベートが混じるのは、とても苦手。
趣味の話を同じ趣味の人たちとするのは好き。
でも、なにかを作るときに話をしながら、というのはとても苦手、いや、嫌い。
作るときは完全にひとりでいたい。でも、ひとりでは分からないから、嫌々人に聞く。
嫌々?なんて傲慢。他人を利用しておいて、嫌々、なんて。
和気藹々、というのが苦手。
あなたの、あたしの、傷の痛みをすべて分かったふりをして。
痛みを分からないことを承知した中での和気藹々は、安心できる。
何をしていても、私生活を探られるのは、天敵。
瞬時に貝になる。あやうく呼吸の穴に松葉を差し込まれそうになったときの蜆のように、きゅっと穴をふさいで二度と動きたくない。それでもまた、動くときはくる。息はしなければならないから。そこで息をしたくないなら、そっと立ち去らねばならない。
そうして立ち去ってきた場の数々。
あたしの居場所はどこにもない。そうして家に閉じこもる。恋人と猫と数人の友達。それで世界は回る。けれどそれでもあたしは、世界を見たい。見たいのだ。
あたしが見たい世界は、机の中にある?恋人の背中にある?猫の尻尾にある?あたしの中にある?
あたしが見たい世界は、あたしが見たい世界の中にしか、ない。
まずはあたしの世界を探さねばならない。
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