劣化コピーのように繰り返し、終わった関係について考えている。
「誰かをあんまり崇拝しすぎると、本当の自由は得られない」
これは「ムーミン谷の仲間たち」でのスナフキンの台詞。
「崇拝」は色々な言葉に入れ替えられる。
「誰かをあんまり愛しすぎると」
「誰かをあんまり憎みすぎると」
「誰かをあんまり」「あんまり」「あんまり」
過度であること、がnegativeに働くことは分かっているし、ありふれたことわざにだってある。過ぎたるは。過ぎたるは。
渦中にあるときにたまたま読んだ、川上弘美「センセイの鞄」に、あの人が書いていたのと全く同じ言葉が同じように使われてあって驚いた。
「つかず。離れず。淡い交わりを」
あなたとはずっと長くつきあってゆきたいから。彼はそんな言葉とともに書いたのだった。
そうして、濃くなりすぎたあたしたちのつきあいは、彼がそう書いたわずか数週間後に、もつれて絡まって、切れてしまった。いったいいつ、どの時点で、あたしの自由は事切れたのか。彼の自由は憎しみに支配されたのか。
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