割と運がいい方だと思う。
ごく一部においてひどく運の悪い面はあってそこから目をそむけることは出来ないけれど、それを相殺しても、やはり運というか、人生における勘はいい方だ、と自分で思う。
その「ひどく運の悪い面」についてはおそらく恋人くらいしか知らないのだが、なにかの拍子で一度だけ人に話したことがある。その人は繊細に受け止めて長く考えて返事をくれたけれど、後ほど「不幸自慢では自分はKさんに負けてる」とそのときのことに触れられて、少し驚いた。その言い方は決して嫌な言い方ではなかったから腹が立ったりはしなかったけれど、それでも「不幸(あたしの場合、運の悪いこと)」を自慢と、親しい人が受け取ったことに、動揺したのだ。「不幸自慢」という言葉に含まれる皮肉は承知しているのだが。
相殺したって運のいいあたし、というのは子供のころから思っていて、人から見ると「なぜそんなに心配ばかり探しているの?」と言われる悲観的な面と、「最後にはまぁ、なんとかつじつま合うんだよね」という楽観的な面が共存している。というより、拮抗している。
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