あたしが一番大事にしている思い出はなんだろう。
父親に関しては、正直なにもない。
子供のころ、父は子供が嫌な気分になることをすべきだと考えていたようで(これは比喩でもなんでもなく、本気で子供にはすかれてはいけないと思っていたようだ)、職場の飲み会で飲んできた夜は既に寝ていたあたしの顔に酒臭い息をわざと吐きかけた。ちゃんと剃っていないヒゲの頬を私にこすりつけていたのは、愛情表現だったんだとわかったのは、亡くなる数日前に母がその仕草を父にしてあげているのを知ったときだった。
何をもって愛情と呼べばいいのか。
76で死んだ父の愛が何だったのか、未だに娘のあたしには見えない。
しかしあたしは明らかに父に似ている。
あの頑固で融通が利かなくて、真正直で、知ってしまった事実から目を背けられないゆえに周囲に疎まれる性質。
母も兄も、もっと器用だ。
兄は母があたしよりも兄を信じること、尊重することを誰より知っている。母はあたしが何度女性と恋愛関係を築いていると説明しても、父の前でわざとあたしの結婚の話題を持ち出したりして期待を持たせたりしていた。
あたしは父母兄すべてに対して、友人に対するのと、または恋人に対するのと同じ正直さでしか接することができない。Sexualityに関して。プレーンに。ひたすら。だから父とは真正面からぶつかるしかないと思い何度も打ち明けようとして母に阻まれた。終いには、父と暮らしてゆくのは母だから、母の希望通りにするしかないだろうと思い至り以降はcome outは諦めた。
混乱した頭に、父の苦笑いが浮かぶ。
彼は男は笑ってはいけないと云われて育ち、それを実践し続けてきたから、おかしなことがあって笑ってしまうときもいつも苦笑いしかできなかった。大笑いしている父を見る事はとうとうなかった。
その苦笑いが切ない。
あたしは、父を、愛してはいなかった。
生きている父を。
死した父だけを愛するのはすでに、愛ではないだろうか。
あたしが生前のあなたに抱いたのは、恐れ、怒り、悲しみ、憤り、煩わしさ、全て灰色から黒い、海辺の冬空のような寒い感情ばかりでした。あたしはとうとう、お父さん、生きているあなたと真正面から語り合う事は、一度も、ただの一度も、なかったのです。そしてあろうことか、あなたが亡くなって初めて、あたしは家族の中で本当にたったひとりになってしまったのだと、気づいたのです。
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