どう誤摩化そうとしても、あたしはこの世の中でSexual Minorityと呼ばれるグループに属するものでありそれはあたし自身が好むと好まざると関係なく、否応無しに分類されてしまうものなのだと、考えざるを得ない。というのは、何の気無しに生活していて、ある瞬間、あたしの頭の沸点を唐突に越えさせる、普段意識さえしていない感情の目盛を突然振り切ってしまうこと、その原因、要素がSexual Minorityにまつわる事項なのだ。
例えばある一部の読書家有名人(趣味雑誌に連載を持っていたり、ケーブルテレビに準レギュラー番組を持っている程度)が、とあるフェミニンな男性のスポーツ選手を嘲笑う。競技でのやや女性っぽい仕草を「お姐さんっぽい」と笑ったり、その選手がライバルの男性選手を褒めると「あの選手が好みなの?」と下世話なジョークを飛ばす。つまりはゲイっぽいSexuallity的に曖昧な境界線にいる人というのは、笑われて馬鹿にされて当然だという態度。その人には千人単位のフォロワーがおり、つまり「お姐さんぽい」人が同性を褒める場合はその人にホの字だということにしておけというその人の感覚がばらまかれている。そんなのは人の勝手だし、あたしはあたしで自分の家でテレビを見たりして「ゲイっぽいー」と笑うことはある。それは相手を笑うのではなくて、自分を投影して笑ってるのだ。やだわ、同類発見!というような。でもそれはそれを理解している人や場以外では絶対にやらない。誤解を招くから。ああ話が逸れた。つまり、そんな気にしない人はただ笑うだけのささやかなネタに、あたしは引っかかってものすごく腹を立てるし、爆発したりする。
あたしの習い事恐怖症、あるいは井戸端会議嫌悪症は、明らかにホモフォビア(同性愛嫌悪症)恐怖症から来ている。多くの(全て、ではないのは言うまでもない)ヘテロセクシュアルモノガミー(異性愛者、兼、単婚主義)な人は、「そんなに愛だの恋だのセックスだのの話をしているわけでもないのに過剰反応」と思うだろう。でも罠は随所に隠されている。
習い事の終わった後でお茶でもしましょうと言われて断る理由が家で「友達が」待っているからなんて誰も納得しやしない。本当は一緒に暮らし始めたばかりの恋人かもしれないのに。また未婚の女性男性なら「恋人いないの?」は挨拶代わりみたいに思っている人はいる。また当然のように「結婚したいよねー」または「結婚なんてごめんだよねー」と同意を求める同性だっている。その枠さえあたしには存在しない。
そういう話題があってもなくても、「習い事」に来ている人の殆どは、自分の日常の何かを背負っていて、あたしの行く先々で出会う同年輩の女性たちは「家庭」や「子供」や「夫」を自分のマフラーやシャツや靴のように当たり前に身につけている。それを目にするのさえ、時には苦痛だったり居心地が悪かったりするのだ。同じように着ているシャツが、彼女らが決して着ない色や形であるから、身につけていること自体を隠さなければならなかったり。隠さなければいいというリベラルなご意見はあっても、隠さないでいること自体がものすごいストレスを呼ぶこともある。「旦那」や「子供」の話をしている中で「彼女が」と言うだけで場が凍るのが殆どだ。
他の人たちは普通にしている会話をあたしがするだけで「何故そんなプライベートを告白するの?」と言われたこともある。居心地が悪いと。職場ならば放っておけばいいけれど、プライベートに僅かでも触れるつきあいの場合、大きな影になる。ああ、我ながら本当に鬱陶しい。
つきあっていた女性に「普通に結婚がしたいから」と振られ、やがて別の女性と暮らし始めた20代の後半まで、自分がマイノリティだという意識は皆無だった。女性も男性も同じように(ということはない、女性の方がジェンダーとして恋愛対象に好ましい)惹かれるし、それを『レズビアン』とか『バイセクシュアル』とか呼ばれることは知っていても、自分自身がその枠に入れられるなんて考えたことはなかった。けれど、同性の恋人と暮らして生活を文字通り共にしている間にそういった「分類」が自分に必要なこともあるという自覚が芽生え始めた。外で二人で食事しているときにレズビアンという言葉を口にするだけで、当時の恋人は「声を低くして」というジェスチャーをしてあたしを怒らせた。当時のあたしは「だから何?」という姿勢だったし、外で堂々とキスする二十代だったから。なあに?レズビアンが恥ずかしいわけ?キスもできないの?ふうん?それであたしのこと好きなんだ?
今となれば、ホモフォビア(同性愛嫌悪症)を持つ人が全ての面において好ましくない訳ではないことは、経験値で分かる。森茉莉なんて同性愛者に対して救いようのない偏見の塊だ(美しくなければ許さない)。同性愛者でも自己否定のフォビアは沢山いて、むしろそっちのほうが厄介。卑近な例でいえば、上に書いた「結婚がしたいから」といった元彼女は自分も含めて同性愛者は「正常ではなく」て、「間違って」いると別れに際して言った。だからといってアタシが彼女を好きだったことは間違ってはいないし、つきあった事も過去になればちょっと時間の無駄だった感も否めないけれど、まぁ楽しかったといっていい。そういうことを丸ごと否定する彼女らは、あたしの目からすれば事実を捻じ曲げることを厭わない奥底のパワフルな人ということになる。
そのネガティブにパワフルな人と正面切って戦っていた時期、あたしはプライベート人間関係のほとんどすべてをそこに奪われていたから、もう沢山、ではある。でも結局逃げても逃げてもあたしがあたしで同性の恋人とささやかな暮らしをストレス無く過ごしたい思いを捨てられない限りは、あたしの道を邪魔するのはフォビアでさえない、同性愛に対して爪のササクレみたいな苦さを持っているごく普通の人の奥底に潜む根深い嫌悪とさえ呼べない違和感だったりするのだ。我慢できないならば、戦うしかないではないか。そんな実体のない、ささやかな違和感と。おお、雲をつかむような話に、脱力する。そうして戦いながらも結局、あたしはあたし自身を枠に分類することができないでいる。雲の中にまぎれながら、雲を掴もうという、さらにややこしい、話はまた別の機会に。
>つまりはゲイっぽいSexuallity的に曖昧な境界線にいる人というのは、笑われて馬鹿にされて当然だという態度。
に、いちいち反応すると、場の雰囲気がササクレ立って妙な感じになるのは、どこでもあることで…。
例えば、その選手のファンも話題を避けて通るみたいなところが、スゴク話しづらくするのが、日本にはあったりし…。
LGBTとか分類が明確になって可視性が高まったことが、生き易さが高まったかというと、反対だったりすることも多いし。
ややこしいね。
そういう自分も美意識過剰な偏見の固まりだし(爆)。
そして、ジョニー・ウィアーの萌えファンになったという友人にウマク対応できないアタシでした。
投稿情報: Bastian | 2010年2 月22日 (月曜日) 午後 08時49分
ははは。丸ごと無視されるってよくありますね。わたしは割とささくれ立っても反応しちゃうほうですが、存在から無視されて放置ってのもありますね。
私は意外に辛抱強い方なんで、自分のことに関してはしつこくしつこくアピールしてたり。
日本の場合は可視化したといってもそれこそ「オカマ」「ホモ」という言葉から先に行ってませんものね。まだ理解のベースも様々だし。
わはは。今度はウィアー萌えですか。彼はそれこそ、「萌え」を受け付けないくらい強烈な個性と自我のような気がします(Be Good Johnny Weirをご覧になりました?うっかりさくっと見て、ぶっとびました)
投稿情報: K | 2010年2 月22日 (月曜日) 午後 11時30分
>「萌え」を受け付けないくらい強烈な個性と自我のような気がします
そこを突っ込んで、また煙たがられるかな、メンドウだなと思って、コメを読みにいけない。トホ。
Be Good Johnny Weir、sundance channelで部分的に見てますが、あの毛皮CFからブットビ。パリスもメチャ濃いし(爆)。ところで、全部見れるとこってあるのですか?
投稿情報: Bastian | 2010年2 月23日 (火曜日) 午後 06時17分
あたしは最近ようやく「萌えでも腐れでも、興味持って好意的ならなんでもいいや」と思う方向へ進んでます。といってもイラっとすることはやっぱり多いからこんなエントリ書いてしまうんですが。
Be Good..はあたしもsundance channelのストリーミングしか見てません。あの毛皮すごいですよね。確かニュースで話題になってた。(思った通り)動物愛護団体の抗議がすごいって。ヘテロの世界はどんどん去勢草食方向だけど、ゲイビアンの世界はどんどん虚飾肉食方向へ進んでいけ、行ってしまえと思ったりする(こともある)あたしです。
投稿情報: K | 2010年2 月24日 (水曜日) 午前 11時57分
やっぱり、あの素肌に毛皮はブットビですね(爆)!
>ヘテロの世界はどんどん去勢草食方向だけど、
ところで、
毛皮と宝飾品を甲冑のように着こなした
俺様やファム・ファタル系のヘテロな米ブラックの、
激肉食なアツクルしさって、
凄すぎてウラヤマしかったりします(爆爆)
投稿情報: Bastian | 2010年2 月26日 (金曜日) 午後 03時46分
>>俺様やファム・ファタル系のヘテロな米ブラックの
Angels in Americaでジェフリー・ライトが演じたベリーズがとっさに思い浮かんでしまった。何故かな。最近CATVで放映されたのを見逃したせいかしらん。悔しかったのよね。いやベリーズはバリバリゲイのキャラクターだし(笑)。
日本の尖ったヘテロ男性というか着飾る方にはどうしたって行きません。超マッチョな武士道ストイシズムに走るような気が。
毛皮のジョニー、お似合いです。そのまんまどっかの映画に出て下さいと懇願したいです。
そうそう。Johnnyが数日前にTweetsしていたのを読んで思わず切なくなってしまいました。
"I really wish I'd won a medal. It would making staying in this village more tolerable. Thank God for my fans.
7:56 PM Feb 24th via web"
あっちのTVではJohnnyの演技中にフォビア的発言が流れたり、かなりひどい状態らしいし、何故単純に美を美と見られないのか、からくりの理解は出来ても納得はできません。
投稿情報: K | 2010年2 月26日 (金曜日) 午後 04時51分
Angels in America、ここからご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=qt2eEmJhAF4
ジョニ姫、そんなtweetしてたんですか?
気丈に見えても、tolerableじゃないこと、多いんだろうな…。
投稿情報: , | 2010年3 月 5日 (金曜日) 午後 03時04分
習い事におけるホモフォビア、たしかにありますね…
投稿情報: o-tsuka | 2010年3 月30日 (火曜日) 午後 05時29分
偶然にこの記事に巡りあいました。
本当に自分のことについて読んでいるみたいで驚きました...
おわかりだと思いますが、私は日本人ではなく(日本に住んでもいない)、この記事を読むことにより感じたことをうまく表現できませんが感謝の気持ちだけ伝わせてください。
私の周りの友人は自分が女性と付き合ってることを気にしていないせいか、Kさんがおっしゃるとおり「それを『レズビアン』とか『バイセクシュアル』とか呼ばれることは知っていても、自分自身がその枠に入れられるなんて考えたことはなかった」です。それなのにこれからを考えると本当に不安とあせりを感じます...
赤の他人で突然な長いコメント本当にすみません。「ひとりじゃない」と感じました。ありがとうございます。時々またお邪魔してもいいですか?
投稿情報: クラ | 2010年3 月31日 (水曜日) 午後 10時01分
>>名無しさん(Bastianさん?)
Angels in AmericaはDVDでもっておりまーす。でもありがとう。最近はネットでなんでも見れますね。
姫はTwitterで一度だけ弱音を呟きましたね。直後は「自分の演技には誇りを持ってるから」って言ってたんだけど、エキシビジョンの辺りで。思うところ沢山あるでしょうね。
>>o-tsukaさん
あのゆるーい空気がそういう「家庭」でしか見せないような気軽な偏見を剥きだしにさせるのかもしれません。
>>クラさん
見つけていただいてありがとうございます。
枠って意識したときに初めて枠になるんですよね。
周囲にガチガチにはめられていても、その狭さに気付かないままで枠におさまっている人もいるし。。
おそらく気付いただけより広い世界を求める心が芽生えたのかもしれない、と考えて、もう少し先を見たいなと今は思っています。難しいけれど。
言葉、とてもお上手です。おそらく書かれなければネイティブでないとは気付きませんでした。
声を掛けていただいて、私も嬉しかったです。
ありがとうございました。
投稿情報: K | 2010年4 月 2日 (金曜日) 午前 11時42分