(独り言的メモですので、支離滅裂なところが。見苦しくて申し訳ないですが、治さずアップします)
昨年五月に父が亡くなり、一年祭をこの週末に行い、母の弟妹、父の弟家族が湖のほとりに集まった。先月Nが入院して以来休みなしで掛け抜けてきて、この週末の父の式で一区切り。となったことを、喜ぶべきだろう。母は父の看病を十年以上続けたのだ。それも、勝てる勝負ではないと分かっていた後半の辛さはいかほどだったろう。
Nの勝負は勝つことの出来る試合だ。それでも一か月前には全く勝てるか勝てないか分からなかった。むしろ、負けるような気がしていた。病気も恋人との暮らしも経済的にも。
ことに、恋人とうまくやっていけるのか。それが一番の問題だったのだ。私にとって。
Nとあたしは別々の人間で、生死がなにより優先するのは間違いなくとも、結局あたしが彼女と別れるなら、彼女が死んだときにあたしにとっての意味は大きく違ってくる。生きて欲しいから別れようと思った瞬間もあった。あたしと居ることが彼女にとって無理を強いる、あるいは悪い影響を与えるならば、あたしは共に暮らして倒れるよりも、別に立って元気に生きて欲しいと思った。
少なくとも彼女が入院していた間は、あたしにとってこの勝負は彼女のご両親とも、社会とも、病院とも、彼女の職場とも、一人で戦って一人で勝ち抜かねばならない勝負だった。それも先が見えない。彼女自身がどう今後を生き抜こうとしているのか、あるいはこれまでと変わらぬ生き方を続けたいのか。まったく見えなかった。孤独に壁打ちをしているような戦いだった。友人知人たちの力強い応援と支えが無かったら、とっくにつぶれていたろう。これは間違いない。それでも、立つのは自分だと言い聞かせていた。選ぶのも自分。
Nが退院して十日ほど。最初はひたすら寝て脈を整えることだけに集中していたNが、少しずつ家事をできるようになってきた。あたしが留守をした二日間は、近所の力強い友人に助けてもらい、戻ったときの夕食まで用意してくれた。彼女なりに出来る範囲を考えて、美味しい食事を考えてくれたのだった。でも、そんな彼女に対して微かな不安を抱いてしまう。彼女はあたしとの軋轢や、生活の苦しさを回避しようとして、またも少しずつ、少しずつ、自分に無理を強いてしまうのではないかという。次は死を意味すると、あたしは知っている。冗談ではない。この年齢で、この状況で、ひたすら死へ向かおうとする意志を支えるなんて、あたしには無理。とても。無理。
あたしの生活は、Nの入院以前と完全に変わってしまっている。活動時間帯も、生活のパターンも、なにより心構えが、変わってしまった。もちろんこのまま一生というわけではなくとも、生き方の一部が変わるのはこういう瞬間だと、思い知った。Nは死に掛けた、と何度も思い返すたびに背筋が寒くなる。同時に、彼女とあたしは別々の人間で、死はまさにはっきりと彼女とあたしを分かつ存在なのだと。言葉や意識で分かっているとか理屈で分かっているとかではなく、具体的に、感じた。あの瞬間。生きていたい。生きて、彼女とあたしのそれぞれの生を精いっぱいに生きたい。そのためのサポートを互いにできるならば、共に生きる意味がある。勝負に賭ける価値が、ある。
アタシも2人を応援してるから!
投稿情報: , | 2010年4 月26日 (月曜日) 午後 02時34分
あれ?えっと、名前ないけどきっとそんな貴方はBastianさんですよね(笑)。
ありがとうございます。
もう「それなり」でしかないけど、「それなりに」やっていきます。
一歩一歩。
投稿情報: K | 2010年4 月26日 (月曜日) 午後 02時39分
名無しに今気づきました。
恥ずかし、トホ
投稿情報: Bastian | 2010年5 月 7日 (金曜日) 午後 10時41分