今朝通勤電車で読み始めてから、ずっと私は私の頭の中で私に話しかけてくるメイ・サートンに対して頷き、私もまた話しかけている。
そのくらいにこの「独り居の日記」は一文一文が深く私に浸透する。
なんと三十代にしてすでに老人になった気分でいたこの数年、メイ・サートンを読むと妙に共感を覚える気がして不安を抱えていた(笑)。
今でもその不安はある。
自分がいわゆる「カクシャクタルお年より」になってしまっているような勘違いである。
けれど、メイの言葉はそれを優しく諭してくれる。
「あなたはまだまだ若いわ。あなたなんて、ヒヨコみたいなものよ。もっと先を見なさい」
と。
そして、彼女のおそらくホンの僅かカーブを描き始めたであろう背中をぐっと伸ばして、肩越しに振り返って微笑んでいる。
この本を著したとき、彼女は59歳。
「私は今にして、もっとも充実した愛を経験し始めている。
しかしアメリカ人はどういうわけか、中年過ぎての情熱的な恋という
考えそのものをおぞましく思う。
彼らは、生きていることを恐れているのだろうか?
彼らは死んでいたいのか、つまり安全でありたいのか?
なぜって、いうまでもなく、恋をしていれば、人は安全でなぞありえない
のだから。成長は要求するものであり、危険にも見えよう。成長には、
得るものの代わりに、喪うものもあるから。だが、成長することをやめるなら、
なぜ生き続けようとするのだろう?
そして成長にとって、愛という、もっとも深く秘められた内奥の自己を呼び出し、
それを求める関係以上に、要求の大きい雰囲気があるだろうか?
中略
私は自分よりうんと若い人と恋におちることなぞ考えられないのだけれど、
それも私が愛を感情教育と考えてきたからなのだ。そして若い人から、
私が愛について学ぶことは少ないのだ」
「独り居の日記」
メイ・サートン著
武田尚子訳
みすず書房
より
hitorii_innyou
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