一昨日見に行った劇団風琴工房のプレビューは、死者の魂を七年間独りで弔いつづけた青年の話でした。すでにこの世に亡い妹と共に迎え火を焚き、食事をし、思い出話に花を咲かせる。散々笑ったそのあとで、死者が言うのです。もう思い出が増えてゆくことはないのだ、と。
毎年往く夏に兄を見送った道を、今年ようやく兄に見送られてあるべき場所へと帰ってゆく妹の魂があゆむ精露路。初演を見てから九年の月日がすぎていたことを演出家に知らされて、その重さと軽さに動揺した私にとって、あの芝居をみることそのものが精露路であったなと、しみじみ、文字通り全身に染み渡るように感じたのでありました。
役者も観客も交替している中で、大事な芝居を宝物の小箱をひもとくように開けてまた見せてもらえた。そういう芝居に出会えて本当に幸福であったと。
せっかく私の中にできた精露路を歩かせてもらったのだから、私もまた行くべき場所へゆけると思う。倦まず弛まず歩く、敬いたいひとびとの背中を眺めながら。
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