本当になんてことのない映画だったし、特になにが素晴らしいというのでもないのだけれど、見ていてしみじみ思った。「こういう、女の人がなにも考えなくても見られる映画って貴重だなあ」ということ。
ヘルシンキで日本人女性がたったひとりで経営しているかもめ食堂。
ひとりもお客がないまま12ヶ月が過ぎる。
そこにぽつぽつと客らしき人が集まり始めたころ、旅行者としてやってきた日本人女性が一人、二人、かもめ食堂に居着くことになる。
いわば、現代のおとぎばなし。むかーしむかーし。という声がきこえてきそう。
主人公サチエさんがいったいどうやってかもめ食堂を運転する資金を得ているのかとか、みどりさんはいったいなぜ突然フィンランドへやってきたのかとか、まさこさんのトランクに入っていたキノコは何なのかとか。
どれにも答えは用意されていないけれど、気になったのはど最初だけ。
リアリティ(私の場合、実感)というのは、リアル(現実)とは関係がない。
私はこの世で生きているという実感がないままで、40年近くふわふわと生きてきて。
ようやくここにきて、実感を得るにはひとつひとつを丁寧に自分の手で感じ取ってゆくしかないのかもしれないと、ひとつのヒントを得つつある。
私にとって言葉を愛し、溺れることはいともたやすく思えながらも、実はものすごく難しい。まず考えてしまう。「なんだろうこれは。」「私はなにをしているんだろう」言葉があるゆえに、その言葉をああだこうだと考えるようになってしまった。映画や漫画や絵はもっと簡単。瞬間に感じ取ることができる。でもやっぱりどこかでそこから発せられる意味という名の言語を読み取ろうと思ってしまう。
あるいは自分にただ自信がないだけなのかもしれない。
言葉というシンボルを放つには、そのシンボルに対して責任を負う覚悟がなくてはならない。でも、私にはその覚悟がもてそうもないから、より「なんとでもとれる」ものへ逃げ込もうとしているんだろうか。。
ああまた堂堂巡りだ。
今はとにかく、丁寧に生きよう。手に触れるもの、目に触れる文字、耳に触れる言葉にきちんと注意を払って。。。そうしている間に、少しずつまた私の中の実感を得られる瞬間が訪れるかもしれないのだし。
かもめ食堂のおにぎりを食べたいなあ。
小林聡美っておにぎり握るの、ホント上手だなあ。
なにかをきちんと「できる」人は信頼できる気がする。すべて、ではなくともいい。「できる」ことだけを信頼できれば。ああ、このあたりに鍵がありそうな。落ちていそうな。。。。(闇をまた、探り中)Fade out...
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