『祈りをささげるときは幸せな気持ちで祈らなくてはならない』
ナバホ族に興味があって調べていたら、いきあたった言葉。
祈りを捧げるという行為をほとんど普段していない、むしろ排除していた私。
どこかに強い宗教への不信感がある。
さまざまな宗教に接してきたくせに、神様に祈るという行為に後ろ暗さを感じるのはなぜだろう。
いや、逆に「さまざまな宗教に」接してきたから不自然なのだろう。生まれたときから当然のようにそこにあるならば、こんなに迷いはしないのに。
自然に囲まれ、自然を受け入れた中で捧げられる祈りには、幸せが大切な要素なのだ。
私が当然のものとして受け入れる宗教はいったいなんだろう。
恋人が以前言っていた。
自分が宗教をもつとしたら、一神教だろうと。
私はどうだろう。神様はどこにでもたくさんいるほうが、私にとっては自然だろうか。
私が幸福をもって祈りを捧げる神様は、誰だろう。どこにいるだろう。
私はいったい、何を探してさまよっているんだろう。
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