うちの部屋の玄関にたつと、わが家ながら室内の暗さにいつも驚く。
昼間から常に暗い。
猫の額ほどの庭に面した居間は、その庭のむこうに立っている二階建ての住宅と、隣の四階建てのマンションの陰になっていて、雑草を放置すると、夏場にどくだみと苔と羊歯類が生い茂るような都会の奥山。
私が過ごす、織機と織り道具と本にほとんど占領されてしまった小さな部屋だけは窓が広い空き地に面しているおかげでかろうじて明るさを保っているが、なにせ北向き。夏でもあまり冷房を必要としないくらいに温度が低い。そのぶん冬場は冷蔵庫のようだ。
今年はさして寒いというわけでもないのに、私の身体に冷えが凍みる。年齢のせいなのか、それともそういう体調になってしまっているのか、昼間家の中にいると身も心も凍るようだ。
不思議なことに、夜になるとあまりその寒さを感じない。寒くて当たり前だと思っているせいなのか。
この部屋で過ごしていると、冬眠する動物たちの気持ちが理解できる気がしてくる。
いけない。これでは、冬の活動時間が完全に温度に支配されてしまう。
一日織りと寒さと自分の将来について思いを巡らしているうちに日が暮れる。
織りや染めについてばかり考えて本を眺め、頭の中に据えつけたあっちの染料の甕に頭を突っ込んではこっちの糸の束を撫でて、今度は蛾のことを考えてぞっとしたりしているような生活の中で、現在私の目に入ってくる別の「文体」は、二人の作家たち。何十回もローテーションで読み返したおかげでページを開いただけでその世界に飛び込む準備完了してしまうクリスティのミステリーと、須賀敦子の全集。クリスティはコーヒーを飲みながら、須賀敦子は通勤電車の中、二巻まで出ている文庫本をとっかえひっかえ読み返す。
須賀敦子全集の二巻は、特に私が好きな「ヴェネツィアの宿」と「トリエステの坂道」が収録されている。
泣き笑い表情豊かに日々を暮らすイタリア人、ミラノ人社会の波にもまれつつも、彼らの人生に対して傍観者の立場をけして捨てない須賀敦子の作品群の中で、この二作は自身の人生の波を巻き込まれた中心から水を飲み込みながら必死で持ちこたえているようなところがあって、それが私の心を捉える。特に「ヴェネツィアの宿」に描かれる、彼女を育てた両親の仲、家庭内の微妙な問題をいつになく率直な筆で描き出したものを読むと、私はいつもなにかしらの励ましを得たような気がして心が落ち着くのだ。これらの作品をペンをもって書いている時点での須賀敦子はまぎれもなく日本にいて、すでに日本で骨を埋めることを覚悟している年齢に違いないのに、描き出されている当人の姿はその作品中の年齢までゆるゆると遡っていて、例えば30代なら30代の熱情が、子供時代なら子供時代の悩みが、それぞれの時代で揺れている須賀敦子が確かにスケッチされていると思えるのがとても不思議でならない。
「ヴェネツィアの宿」に描かれた、歌劇場前の広場に面した宿での一夜。通りに流れ出し、宿の開かれた窓から部屋にまで、まさに洪水のように流れ込むオペラの調べが、やや熱っぽく浅い眠りをたゆとう須賀敦子の夢の中を席巻してゆく。この一編は、私にとっての須賀敦子を決定付けるような作品でもある。私にとって須賀敦子は、巻き込まれた中で、あるいは自ら踏み込んだ世界で次々に与えられたキーから的確に選択を為し、やがてゆるやかに大成してゆく翻訳者・編集者・学者・作家ではない。あくまで一人の人間、一人の迷い多い人間であり、失敗と失望、あるいはちょっと卑しくも見える好奇心や、ささやかな野望の渦巻く人生という夢のひとときに、どっぷりと浸かりきりながら、流されながら、必死で泳ぎきろうとしている一人の女性なのだ。夜中の通りに溢れるオペラに眠りを侵されながら、それでもそんなヴェネツィアという都市の空気の中でしっかりと呼吸している。主格を欠いたような日本的な文章から、どうかするとあまりにも冷静すぎると感じる文章なのに、読んでいるとみるみる本の中へ入っていって、須賀敦子の心の海を漂っているような気持ちにさせられる。まさにヴェネツィアの通りのように入り組んでいるのが、須賀敦子の魅力なのだ。
テレビを見ていたら、世界遺産の番組でこのイタリアの水上都市が特集されていた。須賀敦子(本人が書くには、須賀敦子の父がそう呼んでいた)書くところの「ヴェネツィア」、あるいはベニス、現在の呼び方ではベネチア。一見水に流されそうな、実際水害に悩むこの都市は、それでも千年以上の歴史をこの浅瀬に浮かぶ数限りない島の上で繋いできた。危ういようで、どうしてしっかりとヨーロッパの歴史に名を刻んでいるこの都市を、いつか訪ねてみたい。
凍りつくような夜に、手を凍らせながら何も出来ないでいる私でも、とりあえず本の中でヴェネツィアを訪ねる幸福は味わえる。さて、お風呂でぼんやりと、本の続きをまた読もうか。
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