色々な話をした。
話をする中で次第に自分として明確になってくる、あたしが追い求めるもの。あるいは、あたしが愛する人間にもとめるもの。
あたしにとって愛はあたし自身の中と、外とに存在して、それが交じり合うもの。あたしが苦手なのは、外にあるものを外にあるのだと認識すること。それが苦手だから、粘土に触れて存在確認をするのかもしれない。
あたしは常に飢えて、乾いて、なにかを探している。そのことにコンプレックスを抱き続けてきたけれど、そろそろその何かを自分の中に受け入れて、引き受ける時期が近づいているのかもしれない。人形でそれは適えられるのかな。
デッサンなのよね。とにかく。デッサン。やっぱり教室通おうか。デッサンの本眺めていても、ちっとも分からない。作ってみるとすこし分かる「気がする」けど、なにかやっぱり違う。その証拠に、ちっとも手でつかめた感覚が、ない。
粘土は愛の具現化。愛は粘土のような外の肉付きを必要とする。ホネだけではダメ。肉だけでもダメ。愛とボディは似ている。
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