私は攻撃的な人間ではあるが、本当に攻撃的なのかというと、どうも違う。
はるか昔の自分の記憶をたどっても、攻撃を受けたときの引き起こされる反応はたったひとつ。私がこの身を消すことで復讐するという行為への憧れ。そんなことをしなかったからこそこうしてゴタゴタ書けるわけだけれど、なぜに私は攻撃を受けたときに直接的な仕返しを考えなかったのだろうと、いまさら不思議になる。
夢の中では何人も殺して地の底までの後悔に苛まれている。殺す相手は家族ばかりだというのが、病巣かもしれない。それでもそういう夢はここ数年見ていない。
根っから受身の人間というわけではない。人間関係においては、例えば一番身近な恋人に対してはそれこそ食ってかかるし、どちらかというと喧嘩の火蓋を切るのが私だ。なのに、攻撃されると途端に貝になる。家族に対しては常に貝になってきた反動が血縁以外とのコミュニケーションをゆがめているのか。
私は家族に対峙するときの自分が非常に苦手なのだ。
祖母から手紙がきた。
いわゆる個室の老人ホームに入った彼女は、正月は入院した病院で過ごしたらしい。近所に住む娘がつくって重箱につめてもってきた御節を食べて、ホームの食事でもささやかに正月料理が出された。
しかし、彼女は書く。
「生まれて初めてお雑煮のないお正月でした。でも、そのくらいがちょうど良いのです。本当は生まれて初めて病院で迎えたちっとも目出度くない新年だったのだから。ひとつくらい足りないものがあるくらいで、ちょうど良いのです。」
気丈な祖母の、健気さに感服したのではない。
繰り返し書いている「このくらいでいいのだ」という言葉はつまり、祖母は不満であるということを表している。90になってなお、お正月に雑煮が足りないことを嘆く彼女の「生きること」「満ち足りて過ごすこと」への執着、自分がかくあるべき姿でいられないことへの腹立ち、攻撃性とさえいえる激しい感情に、驚かされ、ちっとも衰えていない祖母の生命力に拍手を送りたいような気持ちだ。生まれて育った場所から引き剥がされるように移された祖母に対する私の安っぽい同情を省みて、心から反省してしまったのだ。
祖母は続ける。
「せっかく私が田舎の美味しいものをあなたのお母さんのところへ送ったのに、あなたはお正月に帰らなかったのですか?来年からはぜひぜひお正月はあちらへ帰ってください」
ああ、そうだ。この人は母の母なのだ。忘るべからず。私をひたすら甘やかしてからかって可愛がってくれた祖父の隣で睨みを効かせていた、あの祖母がこの手紙の文章の間にしっかと立ち上がっている。
うん。こういうアグレッシブな祖母に対してなら、私は血だのしがらみだのではなく、ひとりの人生の先輩としてじっと向かい合える。あるいはそのムスメたる母に対しても、似た感覚を持ち得るかもしれないのだ。祖母の「なんて俗っぽいの、この人は!」という面を再発見して、私が過剰なセンチメンタリズムに陥っていることを気付かせてもらってはじめて、ああこの人は生きている、きっとまだまだ生きていける、としみじみ思ってしまったのだ。
血が、私を追いこみ、煮詰まらせるならば、その血に対峙して憎んだり馬鹿にしたり、しかたないなあと思ったり、自分に禁じてきたネガティブな感情を開放することで、その血をもう一度冷静に見直すことができるかも。祖母のあまりにも分かりやすい「性」、この血に受け継がれている女の血、生命力、そして攻撃性を見つけることで、ひとつだけポッと私の行く路に灯りがともったような気がした。ネガティブな感情でポジティブになるのも、妙な話だけれど。
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