トーベ・ヤンソンとトゥーリッキ・ピエティラは1967年から25年間毎年の早春から晩夏までをフィンランド湾のペッリンゲ諸島に属するクルーヴハル(Klovharu)という小さな小さな島で過ごした。その様子を収めたビデオが表題のHaru, the island of the solitary。(ハル、孤独の島)(ハルというのはフィンランド語?で島を意味する)
私はフィンランド語もスウェーデン語も知らない(フィンランドは二ヶ国語が共通語)ので、英語の字幕に頼ることになるが、もともとのDVDはフィンランド語で字幕ナシのものと、スウェーデン語+英語字幕のものが用意されている。どちらも映像は同じくトゥーリッキによるもの(主に)、そして語り部はトーベ・ヤンソン。
トーベの声は高くもなく低くもなく、落ち着いて少しくぐもった声。少し頼りない感じ?寂しい感じ?でもどれも先入観だろう。特に声に特徴は無い。やはり語りの本領はテキスト。トゥーティの撮る映像は、当時のコニカ(だろうか、フェアプレイでヨンナが持ちまわっていたのはコニカだった)のきっととても良い機種だったろう。デジタル技術なんて産声も聞いていないくらいだから、画面がゴミだらけだし、暗いし。でもなんともいえない立体感のある色が暖かい。いや、クルーヴハルはとても寂しく冷たい孤島なのだけれど、そこに差す光の様々をそれは鮮やかにトゥーティ(実際は「トーティ」というほうが音に近い表記みたい)のレンズは映し出している。グラフィックアーティストの本領発揮。流れてゆく流氷の欠片たち、一時も止まらない雲のグレイの濃淡、ほんの数十秒表れて掻き消える虹の艶、島に転がる石、石、石、そして間に丈高く生える葦のような草、縫って走る黒猫のプシプシーナ、彼女を抱いて踊る、トーベ。
この風と海と石ばかりを映したような、殺風景な映像の合間合間に、トゥーティは踊るトーベの姿を挟み込んでいる。島の小高い丘で、草と戯れ軽やかに飛び跳ねるトーベのシルエット、腰だけをくねらせて、リズムを刻むトーベ、窓辺で見張るプシプシーナにおどけて踊りながら歯磨きをして脅かすトーベ。どのトーベにも陽気な音楽が付けられて、撮影しているトゥーティの満面の笑みまで映りこんでいるような、一瞬の幕間の寸劇。
そうして厳しい自然と陽気なパートナーに恵まれたトゥーティの映像には、トーベの淡々としたテキストの見せ付ける、あっさりした現実が似合う。いかにして彼女らが島に移り住み、小屋があるのにテント生活を愛し、カモメのペルッラと仲良くなり、海と絶え間ない領地争いを繰り広げ、時に勝利し、あるいは負けした島の日々を、鮮明に描き出している。そうしてどのように彼女らが海に対して敗北を認め、やがて海から碇をあげて陸地へと帰っていったのかを。
45分足らずという短さから、なんとなくハルでの暮らしぶりの単純な日記のようなものだと思っていた。けれどこのドキュメンタリーはトーベ・ヤンソンの描いた作品の背景をほぼ完全な形で再現した、純度の高い作品となっている。なにしろ作品群の作者であるトーベ・ヤンソン自身がテキストを寄せているのだ。そのテキストの元となるトゥーリッキの映し出した映像は、まるで物語という建築物を違う側面から光を当てて、新たなシルエットを浮かび上がらせることで全く異なる別の作品を提示しているかのようなのだ。いくつも、様々なトーベの本の中で見知ったエピソード、見知った名前が出てくるのも懐かしい。トーベの作品(特にムーミンシリーズ後半からポストムーミン作品群)にとって、クルーヴハルでの生活がどれほど重要なものであったのか、改めて知ることになった。
海を後にしたトーベはムーミンとも島とも離れた作品群を発表し始める。
陸に上がったトーベとトゥーリッキは、クルーヴハルに戻ることはなかった。
「Haru - island of the solitary」(Haru, yksinaisten saari) 1998年
http://www.lumistore.net/PublishedService?file=page&pageID=9&itemcode=product-2-copy
(上記サイトではDVDの海外通販も行っています)
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