雑誌に掲載された未訳のメイ・サートン「Endgame: A Journal of the Seventy-Ninth Year」を拾い読みしていて、メイ・サートンがブッシュ(父親の方ね)の対イラク政策を支持していたと知ってショックを受ける。
当時はあの凶悪なテレビ中継戦争の真っ最中。フセインの悪を信じ、ブッシュは正しいのだと自らに言い聞かせるメイの言葉。
あの根無し草のメイさえも巻き込むアメリカナショナリズム。
自由という名の鎖で相手を絞め殺すファシズム。
それほどにブッシュの情報操作は巧みであったということか。
否、ヨーロッパを、アメリカを、戦禍を生き延びたメイがそんなに簡単にやわな政府の画策にはまるとは信じられない。
やはり、メイには意思があったはず。
マンデラが解放された同じとき、人々を殺してゆく爆撃が行われていた。
アウン・サン・スー・チーの軟禁状態を解く努力がなされるそばで、イラクへの攻撃が続けられている。
私は非暴力主義者とはいえない。
私は自衛隊を否定しない。
私は暴力を否定しない。
私は殴られたら殴り返す。
私は殺されそうになったら殺す。
でも、殺人者の家に出向いていって殺しはしない。
それが理性だ。
それが司法だ。
それが国家のはずだ。
偽善と笑わば笑え。
私は現実的なオプティミストなのだ。
そういいながら、どこかに空いている穴を、探してしまう。
侵略戦争は終わらない。
爆弾は昨日もバスを吹き飛ばした。
今のいったいナニが間違ったのか。
テロと戦争はどちらが罪深いのか。
メイ・サートンはなぜイラク戦争を支持したのか。
私はなぜ自衛隊を肯定するのか。
穴はどこにあるのか。
それともどこにもないのか。
もしかして、この世そのものが穴?
may_bush
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